広告から愛を込めて
自分が小さい頃はまだ、文通なるものが盛んだったと記憶しています。
少年少女向けの雑誌にも「文通相手募集」のコーナーが常設されているものも多く、
そこには、なんとなんと個人の住所・氏名・年齢やプロフィールが書かれており、
気に入った人がいたらお手紙を出して、返事が来たらまたお返事を書く、
さあ、文通が始まりますよ~。
爆風スランプさんの「大きな玉ねぎの下で」の”ペンフレンドの恋”って、
本当にあったんです。
でももっと昔、文通なんて目じゃない個人広告が地方紙に掲載されています。
1833年(明治16年)1月27日
縁談広告
「拙者義某妻離別し虎独身者にて家事不行届甚だ困却致し間今般更
妻娶り度有志の諸君い貧富を不論 照会ありたり。
但し年齢十七年以上廿五年以下の者に限る」
↓↓↓
「僕、離婚して独身になったんだけど、家事が大変で困ってるんです。
経済的なことは気にしなくていいです。もし結婚してもいいなと思う人は連絡待ってます。
ただ、17歳以上で25歳以下の方でお願いします。」
現代では色々とツッコミ所が満載な広告記事ですが、明治のお話しですのでご容赦を。
来たそうですよ、応募。
19歳の方ですって、お相手。
したようですね、結婚。
ちなみに世界初と言われているのは、どうやら、1695年7月19日で、
イギリスの新聞に「当方は年齢30歳の資産家です。3000ポンド程度の財産を
持っている若い女性の方を結婚相手として探しています」と掲載されたようですが・・・。
3000ポンドって、恐らく現代で言うところの1億円くらいの貨幣価値とも
考えられるそうので、かなりの額ですよね。
これは結果は調べられませんでしたが、どうだったんですかね。気になります~