冬銀河 冴ゆ帰り花 雪蛍
自分が中学生だった時代、俳句好きな国語の先生に出会いました。
その先生は、飄々とした語り口で、日本語の美しさを小生意気な中学生達に
向けて話してくれ、その中には先生の好きな俳句なども。
配偶者も国語の教師をされている方だそうで、2人いるお子さんには、
考えに考えた末に、長男に「太郎」、次に生まれた女の子には「花子」と名づけた
と、少し照れくさそうにおっしゃっていたのも先生らしくて印象的でした。
教えていただいたほとんどの俳句は忘れてしまったのですが(すみません)、
この時期になると、かろうじて高浜虚子さんの俳句を思い出します。
去年今年 貫く棒の 如きもの
高名な俳人の有名な俳句なので、その先生が自分にしてくれたような、
ちゃんとした解説はAI検索の方が確実かと思います。
ここから先はあくまでその時代に感じた個人の感覚です。
(このコラムを書くにあたり調べたら、やっぱり何かちょっと違いました。えへへ)
年が明けると、昨日まで「今年」だった日が、今日からは「去年」に形を変えるけど、
時間の流れに区切りをつけるのはあくまで人間。
時間自身はそんなことに頓着せず、一本の棒のように貫いてただ伸びているんだなぁ。
些末なことにとらわれず、道を見失わずに歩いていけたらいいなぁ。
と、その俳句を知って、そんなふうに感じたことを、思い出しました。
今の自分も、中学生の頃の自分も、考えていることはあまり変わりません(笑)