ゴーストップでは遊べない
それはまだ信号機の珍しい1933年(昭和8年)、初夏を迎える6月17日の午前のこと、
大阪の天神橋筋六丁目(愛称:天六)という交差点で起こった事件をきっかけに、
悲喜劇 「天六進止事件」 が、開幕します。
【プロローグ】
赤信号を無視した休暇中の陸軍兵士を、交通整理中の巡査がメガホンで注意し、
天六の派出所に連行。
派出所で兵士が「憲兵になら従うが警察官ごときに従う謂れはない」と発言して抵抗したため
殴り合いの大喧嘩に発展する。
【第一幕/大阪】
巡査 「信号無視をして、しかも先に手を出したのは兵士の方だ」
兵士 「信号無視などしていないし、自分から手をあげた覚えなどもない」
軍部 「公衆の面前で、軍服着用の軍人を侮辱するなどあってはならん、
これは一兵士の問題でなく皇軍の威信に関わる。謝罪せよ」
警察 「皇軍だと。なるほどそれなら警察官も陛下の警察官である。謝罪の必要などない」
【第二幕/東京】
陸軍 「たかが警察風情が何を。陸軍の名誉にかけ、大阪府警察にこの不祥事を
陳謝させろ」
内務省 「謝罪など論外ですね。信号を無視し公務執行妨害をした兵士を逮捕起訴すべし。
我らが「官庁の中の官庁」と呼ばれる所以を思い知らせてやりなさい」
裁判所 「休暇中の私用外出なんだから兵士も交通法規を守るべきだが、起訴して負けるのが
どちらであっても国家の威信に関わるぞ。とにかく何とか丸く収めるのだ」
【第三幕/陛下】
各種メディアがこの出来事を大きく取り上る。
大阪の劇場では漫才のネタにもなり、大盛況に沸く庶民。
事件の処理に追われる大阪の曽根崎警察署長が疲労で倒れ入院するも、
10日後に死亡する。
目撃者の1人である男性が、軍部(憲兵)、警察、双方の度重なる厳しい聴取に
耐え切れず失踪し、後日、国鉄の操車場内で自殺して轢死体となっているのが発見される。
事態を憂慮した昭和天皇の命を受けた人物が、陸軍大臣と内務大臣、それぞれに耳打ちする。
頷き、しぶしぶ握手する2人。
【エピローグ】
数年後、軍部と政府の繊細な関係は崩れ、不足する資源確保や国内不況などの問題を載せて、
6隻の空母が真珠湾に向けて出発する。